学級崩壊の原因と対策・発生した時のサバイバル術【生徒として実体験】

子供が通っている学校で学級崩壊が起きそうで心配だ。学級崩壊が発生して勉強に影響が出ないか心配。学級崩壊の影響をなんとか最小限に止めるために何かいい対策はないかな、とお考えの方へ。

この記事では私自身が生徒として実際に小学校と中学校でひどい学級崩壊を生徒として経験しその状況を生き延び無事に進学校に合格した経験とコンサルティングファームでいろんな問題に取り組んだ経験から、学級崩壊が起きる原因いついて考察するとともに、学級崩壊が起きた時の対策とサバイバル術について解説します。


学級崩壊とは

まずは学級崩壊とはどんな状態をいうのか確認します。

学級崩壊(がっきゅうほうかい)とは、学級が集団教育の機能を果たせない状況が継続し、通常の手法では問題解決が図れない状態に陥った状況を指す。日本の初中等教育(特に小学校)に関して1990年代後半に新聞[1][2]やテレビ[3]などのマスコミが使うようになって広まった表現とされている。

出所:WikiPedia

上記の研究についてはこの記事を書いている2020年3月の段階でも文部科学省のページにその内容が掲載されています。

参考:文部科学省WEB『学級経営の充実に関する調査研究』(最終報告)の概要

学級が集団教育の機能を果たせない状態がずっと続いて、さらに簡単には解決できない状態を指すようです。そしてこの記事を書いている2020年の時点で学級崩壊という言葉が登場してからかれこれ30年経過しているということもわかります。

私の体験した学級崩壊1

私は小学生と中学生の間、ほとんどずっと学級崩壊したクラス(と言うか秩序が完全に崩壊した学校)にいました。その中で私の記憶に今でも残り続ける印象的な出来事が多く発生しました。(全てを書くとキリがないので少しだけ紹介します。)

小学校担任だったベテランの女性の先生がクラスの状態のあまりの酷さに心を病んでしまい、指導法を学び直すという名目で突然いなくなってしまったことがありました。小学生になってそれほど時間も経ってなかったので当時はまあそんなものかなとも思いましたが、今でも覚えています。

また、小学校の時には既に子供同士の内情はまるで暴力団の抗争のようであり、急に後ろから机で思いっきり殴りかかる人(子供)がいるのでいつも全く油断はできません。自分の身は自分で守るしかないのです。そんな状況なので降りかかる火の粉は当然払わなければなりません。勉強をするための安全保障さえ自己責任の世界でした。子供はもし暴力沙汰を起こしても大人と異なり簡単には警察には捕まりません。子供も大きくなってくるとそれを知った上でやりたい放題です。それはもう治外法権みたいなもので、自分の心と身体を守ること、そしてその上で勉強をすることは本当に自己責任だった(結果的に自己責任状態になっていた)のです・・・。

さらに、この学級崩壊という言葉が指すのは小学校からであり、小学1年生になるタイミングで発生するものに「小1プロブレム」という名前がつけられています。

1年生の学級崩壊は、特に入学直後の児童に多く見られることから、一口に教育といっても遊びを通じた情操教育コミュニケーション能力の育成が中心となる幼稚園保育園から、学習が中心となる小学校への環境の大幅な変化に対応できにくい点が指摘されており、マスメディアでは「小1プロブレム」と呼ぶことが増えている。東京都教育委員会が全国の大学の教職課程の調査を開始したり[9]、幼稚園・保育園と小学校との連携を模索する動きがある

出所:Wikipedia

小1プロブレムとは、幼稚園でのプログラムや生活様式とスクール形式の座り方で教室に並んで座って数時間にわたって授業を受ける(そしてその間、教師の話を聞く時間が大半を占める)小学校のプログラムとの差が大きく、子供がそれにうまく対応できない結果発生する問題とされているようです。

子供が小学生になるときの変化について

小学校で特に変化するのは遊びから学習という変化ではなく「教科学習(国語や算数などの知識の強化)のための行動形式が急に指定される」という点ではないか、と私は考えます。これは、遊びから学習中心に変わったというのとは大きく異なります。
子供が適応できないのは実際には「教科知識の習得」という範囲で、その「学習のための方法や行動様式が指定され強制されること」に対してではないでしょうか。
このように考えてくると学級崩壊は子供側の問題というより教育システムの問題が大きいようにも思えますが、ここではいったんその点は横においておき、次に学級崩壊が起きた場合の対策について解説したいと思います。


学級崩壊の原因と対策

次に学級崩壊の原因について考察します。

学級崩壊の原因についての一般的な見解

学級崩壊の原因についての実証も踏まえた信頼できる調査はそれほど多くなさそうです。ある研究によると、信頼に足る学級崩壊についての研究の一つは、平成12年に文部科学省が学校経営研究会に委託して実施した『学校経営をめぐる現状とその対応ー関係者間の信頼と連携による魅力ある学校づくり』です。これは「学級がうまく機能しない状況」にあるとされた全国150の事例を10のケースに分類し、ぞれぞれのケースについて詳しく紹介した事例研究集です。この事例集において、150の事例のうち104の事例が「教師による学校経営が柔軟性を欠いている事例」に該当しこのことをメディアが「学級崩壊の7割は担当教師の指導力不足」として世の中に紹介したことから、今では学級崩壊の原因は教師にあるという説が世間に広まっているようです。

学級崩壊の原因は多重構造

果たして学級崩壊の原因は教師にあるのでしょうか。それとも最近の子供がストレスを抱えすぎていたり早熟すぎることに原因があるのでしょうか。

何か悪いことが起きると、その原因を何か一つのものや人のせいにしてしまう光景をみることがあるかもしれません。しかし実際にはそんなに単純な問題などほとんどありません

世間にあるほとんどの問題は相互に複雑に絡まり合っています。それは絡まり合った糸などの構造に似ていると思います。糸の本数が増えれば増えるほど、絡まり合った糸をほぐすのが難しくなるように、問題に関わる要素の数が増えれば増えるほど、その問題の解決は単純には行かなくなります。

学級崩壊についても同じことが言えます。確かに学級を取り仕切るのは担当教師の役割かもしれませんが、それは今現在の日本における教育システムが今のままであることを前提とする場合であり、あくまでもその前提ありきでの話です。

さらに言えば、学級崩壊=学級の継続的機能不全の責任もしくは原因が全てそれを取り仕切る役割の人=担当教師にあるというのは変な話です。複数の糸が絡まった場合に1本の糸をたとえ取り除いても多くの場合は絡まりはほぐれないのと同じで、たとえ学級を担当する教師のスキルを上げることだけに注力したとしても学級崩壊の問題は一向に解決に向かわないと考えます。またスキルを上げると言っても教師のスキルもまた多重構造になっており何の能力を高めればどれくらい学級崩壊の改善に寄与するのかもよくわかりません。

学級崩壊の要素(教科指導と生活の機能不全)

学級崩壊を形作る多重的な要素とは一体何でしょうか。学級崩壊への対策を考える準備として学級崩壊の原因を様々な側面から見ていきましょう。

学級崩壊とは学級がうまく機能しない状態が続いていることを指すことはこの記事の前半で確認しました。「続いている」という点はいったん置いておいて、学級がうまく機能しないことについてもう少し考えてみます。

学級の機能とは何でしょうか。この点について研究論文があり、その中で以下のような記述が見つかりました。

わが国の学級は教授のためだけの組織ではない。学級は、「学校教育が実際に行われるための単位集団として、ここを場として、主として教科の教授が集中的に行われ、生活指導もこれに準じて行なわれる。」すなわち、学級は教科教授の単位集団であるとともに、生活指導の訓育的集団という2つの機能を有する。両機能をもつところに近代的学級の特徴がある。

『現代の学級集団論の動向と課題』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sswc/14/0/14_KJ00009374289/_pdf/-char/ja

上の記述に従えば、学級がうまく機能しない状況とはつまり以下の2点ということになります。

  1. 教科の集団指導がうまくできない
  2. 生活指導がうまくできない

以下では学級崩壊をこの2つの要素に分けて原因と対策について考えてみます。

教科の集団指導がうまくできない

もし学級崩壊が起きたらまず心配なのが教科の指導状況だという方は多いのではないでしょうか。この記事では詳細な解説はしませんが、小学校で教科指導がうまくできないのはある意味当然と言えます。

その理由をざっくり言います。

子供一人一人は性格も能力も異なり、当然ながら各教科ごと(さらに言えば各教科の細かな分野や実際の指導の中での活動内容ごと)に得意・不得意や好き・嫌いがあります。一方で先生は(多重人格でもないかぎり)当然一つだけの人であり、得意・不得意や好き・嫌いもあくまでその先生一人に固有のものです。この状況下で、先生一人が40人近い生徒に対してそれぞれの得意・不得意や好き・嫌いそしてそれぞれの性格や行動特性も考慮して強化として伝えるべきことをうまく指導することは、現実的とは思えないからです。

よって、教科の集団指導がうまくできないという一つ目の項目については、程度の問題こそあれど現状の日本の教育システムにおいては当然のことと言えるため、上に書いたような、興味や能力、性格・行動面で多種多様な生徒たちをいかにプログラムでカバーするのかを考えることが対策と言えます。

このように書くと必要な教育プログラムを用意するのは学校や教師だと思われる方もいると思いますが、特にその制約はありません。大切なのは上に書いた点をカバーすることです。親でも、周りの大人でも、友達でも、そして生徒本人でも構いません。図書館に行けば無料でいろんな本を閲覧できますし、最近ではWEBを使えば実に様々なことを知ることができます。また補足教材もいいものがたくさん出てます。

生活指導がうまくできない

生活指導がうまくできないという問題については教科指導よりは問題の構造はシンプルかもしれません。ただしこれを本当に有意義なものとして活用するには難易度はこちらの方が断然上だと思います。

生活指導とは

生活指導はウィキペディアに以下のように説明されています。

生活指導(せいかつしどう)とは、教育課程で教科外活動(特別活動など)に主に位置づけられる教科科目以外の方法で、こども意識や生活態度・行動などを指導・助言する活動のことである。似た用語生徒指導があるが、生活指導とは、意味合いがやや異なる。

出所:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E6%8C%87%E5%B0%8E

上記ウィキペディアにも記載がありますが「生活指導」はどうやら戦前の思想が関係しているもののようで、ウィキペディア内に記載のある「全国生活指導研究協議会」(全生研)は何やら不気味さを感じます。

上記の気になる点は横に置いて、本記事では生活指導を「子供のメンタリティや生きるための姿勢を育むための指導」だと仮定します。その上で、生活指導がうまくできないという学級崩壊の側面について以下で原因と対策を考えます。

生きるためのメンタリティや姿勢とは

子供が生きていく上で必要なメンタリティや生きていくための姿勢とはどのようなものでしょうか。先ほど説明した元々の生活指導の設定時には何らかの想定があったように見えますが、この点を改めて正面から考えずして前には進めません。

日本ではそれほど話題に出ていない気がしますが、世界経済会議(World Economic Forum(WEF))は少し前にこれからの社会で求められる力についてレポートを出しています。WEFは数多くのレポートを出していますが、その中でこれからの社会で求められる力について書いていて私が注目したのが『New Vision for Education – Unlocking the Potential of Technology-』というレポートです。

WEFはレポートの中でこれからの社会で求められる力を定義しています

この中で紫のエリアの上の方がこれまでも日本の教育で重視されるような力です。真ん中のオレンジのエリアは批判的思考や創造性、コミュニケーションや協働する力、そして青のエリアは好奇心・イニシアティブ・やり抜く力・リーダーシップなどが並びます。

この図で示されるフレームワークが必ずしも正しいというわけでもないですが、かなり参考になることは間違い無いです。子供たちが実社会の中で生きていくために必要な力や姿勢は、この中で言えばオレンジや青のエリアで定義されているような力ではないかと個人的には考えます。

日本の教育プログラムで生きるための力は育つのか

学級崩壊=学級の機能がうまく機能しないこととし、その中の一つとして生活指導について見てきています。ところで先ほど提示した生きるための力を見て一つ疑問が浮かびます。それは、日本の学級がうまく機能した場合は生きる力は育つのか、という疑問です。この疑問は私の個人的なものですが、もし仮に日本の教育では子供の生きる力が育ちにくいとすれば、学級崩壊を止める意味が弱くなってしまいます。

生活指導がうまく機能する状態とは?

「生活指導がうまくできている」とはどのような状態をさすのでしょうか。私が勝手に想像するのは、日本式の「良い子」像です。先生の言うことをよく聞き、活発・聡明で運動もでき、集団によく馴染む、と言うタイプの子供です。できるだけ多くの子供がこのような子供になるように育てるのが「生活指導がうまくできている」ということでしょうか。この記事の別の箇所ですでに書いたように、子供の個性は実に様々で一人一人が好きな活動や性格・行動特性も全く異なるため、金太郎飴のように日本式の良い子をどんどん増やす指導はそもそも間違いだと思います。

結局、生活指導がうまくできない原因と対策は

生活指導は残念ながら元々その仕組みが作られたタイミングが古く、現代生活またはこれからの未来の生活で子供たちに必要な様々な力を育むためのプログラムとしては機能しておらず、このことが生活指導がうまくいかない最も大きな原因では無いかと考えます。言うまでもなく教育は公共サービスです。あらゆる商品・サービスはニーズあってこそ価値があるものです。古くなったものは刷新して提供すべきです。うまくまとめられませんが、この辺りのことが生活指導がうまくいかない原因と対策に当たるのでは無いでしょうか。

学級崩壊対策の最終にして最強の手段

私の凄まじい学級崩壊体験はこの一つまでのコラムで書いた通りです。

私が実際にひどい学級崩壊を乗り切った方法は、「自分の心と体の安全を確保しながらペースを乱さず自分で勉強する」です。小学校も中学校もこれで完全に乗り切りました。

学級崩壊に遭遇したら、「自分の心と体の安全を確保しながらペースを乱さず自分で勉強する」を意識して、必要なことはやることです。例えば、私の場合は身の危険を感じたため運動が好きなタイプでもなかったのに小学校の時には親に頼んでダンベルを買って腕力を鍛えました。机で頭を殴られてしまっては、脳が損傷を受ける可能性大です。

また先ほどのコラムでも書いた通り学校内は一種の治外法権であり自分の身を守ることや勉強をすることは最終的に自己責任です。
先生さえ、色々と立場もあるし忙しいので完全に生徒を守ってくれる存在ではありません。(場合によってかなり理不尽な人もフツーにいますよね)

それが現実なのですが、ものは考えようです。結局のところ大人になれば自律やいろんな意味での自己防衛が必要になります。その練習の機会を学校生活の中で得るのだと考えると皮肉なことにこれはこれで教育の場として機能が発揮されているとも言えます。

多重構造問題には多重構造の方策で対処すべき

ここまでの部分で、学級の2つの機能に着目して学級崩壊=学級がうまく機能しないという事象についてその原因と対策を考察してきました。

学級崩壊という問題は多重構造です。学級の持つ二つの機能(教科指導も生活指導)がそれぞれ複雑な問題を抱えており、それらの集合が最終的に学級崩壊を招いていると言えます。

この問題は簡単に解決することは難しく、解決に向けてはたくさんの時間と多くの人の協力が必要です。そこで、一定のタイミングで生徒としての経験をする各個人としてできる対策としてはその解決を待っていては間に合わないので暫定策として自律して自分でしっかり学ぶことがあることを解説しました。

ただし、本来は複雑な意図を解きほぐすのと同じように、複雑な問題を解決するには一つ一つの問題に分割・分析し、全てに対して構造的に取り組むべきです。この役割は基本的には学校制度を設計している文部科学省が旗を振り関係者を巻き込んで行う大規模なプロジェクトになることでしょう。

まとめ

この記事では、学級崩壊が発生する原因と対策、そして発生した場合のサバイバル術について私自身の生徒目線での体験談も交えながら解説してきました。変えられるのは自分だけです。自分ができることをしっかりとやって、学級崩壊が起きた場合に備えましょう。